【団塊ひとり】朝の連続TV小説「ごちそうさん」にみる「試してみるこころ」

 NHKの朝の連続TV小説「ごちそうさん」が終了した。前作の「あまちゃん」に続いて印象に残る佳品だった。特に大阪局は「純と愛」の失敗を一挙に挽回した。大阪が舞台になっていたが、いわゆる吉本調のコテコテしたものではなく、普通の大阪人が描かれていて安心できた。

 舞台になった日本一長い商店街と言われる天神橋筋商店街は、現役の頃約30年以上にわたって通勤途上の道だった。天神橋六丁目から南森町まで何度も歩いて思い出も深い。先日、久しぶりになじみの古本屋を訪れてみると、5月で店を閉めるらしい。数年前に奥さんに先立たれ、店を訪れる客も減り赤字がかさむからだそうだ。いい本が置いてあり、何も言わなくてもまけてくれる主人だった。よく世間話もしたので残念だ。商店街自体いつ訪れても混んでいるのに、最近は本を手に取る人がめっきり少なくなったそうだ。特に若い人はほとんど店に来ないそうだ。

 結婚前で親と同居していた時代は、月給の半分ほどを本代に使っていた時代があった。今は図書館通いが中心で、本の購入も随分少なくなった。しかも本屋よりamazonなどで購入するケースが増えた。図書館に配架されていない本は、他の図書館から取り寄せてくれる。いたれりつくせりだ。

 絶版本も、ネットで探すようになった。国立国会図書館などを利用すれば、ネット経由で無料で手に入れることができる。これは実に便利だ。また紙の媒体として出版すれば赤字になる「書籍」も電子出版やオンデマンド出版にすれば、常に「在庫」を保つことが出来る。結果として小さな本屋や古本屋は経営が立ちゆかなくなる。知の解放がすすみ、消費者に便利な環境が本屋の経営を圧迫する時代になった。

 「生」は人間の基本でそれを支えるものは「食」だ。連続TV小説「ごちそうさん」はまさにそれを描いた佳作だった。死者は「食べる」事が出来ない。「食」の肯定は当然ながら「死」を招く戦争と対立する。戦争に対する批判的な考えは、「ごちそうさん」にも描かれたが、「反戦」という薄っぺらい形ではなく、肩肘張らない自然な形で描かれていた。

 印象に残ったシーンがある。戦死した息子を思いアメリカに心を開けない主人公と、真珠湾で息子を失ったアメリカ人将校モリスとの会話だ。主人公は述べる「アメリカを許すことが出来ません。」と。将校は述べる。「だからあなたに会いたかった」と。モリスは息子の写真を見せる。主人公も息子の手帳を見せる。互いの思いがまじりあう。

 モリスが語る言葉は印象的だ。「憎んでもやはり苦しい。憎まずにいたいが、それも出来ない。でも息子なら、あなたのおむすびを食べてみるんじゃないかと思って。試してみたらおいしかった。ここから好きになれる」。示唆に富む言葉だ。

 真珠湾、報復としての日本全土の無差別爆撃、そして原爆投下。にもかかわらず、日米が日韓のように憎しみあわなかったのは、お互いに未来に向ける心と互いに理解し許し合える大きな心を持っていたからだ。再び殺し合わない環境を作ろうとしたからだ。これは「怨」や「憎しみ」を基調とする中韓には永遠に理解できない心だ。

 毎年12月には真珠湾でかつての敵であった日米の関係者が参加する慰霊祭が開かれる。また3月には硫黄島で日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式等が開かれる。ともに互いの「怨み」を超えて、過去よりも未来を選択しようとする強い意志と互いの敬意が基本にある。日米は固い絆で結ばれている。「怨」を基本として、数百年前の死者の墓を暴いて、「死体」に損傷を加えることを美徳とする中韓とは大きな違いだ。

 戦後ドイツが欧州で受け入れられたのは単にドイツがナチスの行為を「謝罪」したからではない。回りの国が広い心を持ってドイツを受け入れようと努力したからだ。そしてドイツの再軍備を容認しNATOに参加させるという現実的な政策を選択したのは、ソビエトという共通の敵が存在したからだ。もしドイツがアジアの一員であれば、ドイツが何度謝罪しても中国や韓国は「ドイツ」をゆるすことはしないだろう。

 アジアにおける「ドイツ」の役割を担うのは、日本だ。もしアジア版NATOが成立するとしたら、かつての共産国ソビエトに該当する国は同じ共産国家「中国」だ。ソビエトがドイツの再軍備に反対したように、中国は日本の再軍備を容認しないだろう。アジアとヨーロッパでは「敗戦国」を取り巻く環境が違うのだ。

 韓国の大統領は「日本を1000年は憎み続ける」と公式に述べた。韓国の議会は天皇を「卑しめる」決議を採択した。

 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(日本国憲法第一条)

 天皇を卑しめることは「日本」を卑しめることであり、「日本」の存在を否定することだ。日本の「憲法」の精神を否定することだ。韓国の大統領はオバマ大統領が呼びつけるまで、阿倍首相の会談の申し出を拒絶し続けた。「未来」を選択したアメリカ人将校モリスと真逆の姿勢だ。

 しょせん韓国人は北朝鮮と同じDNAを持つ種族だ。日本は韓国に過大な期待を抱いているのではないか。将来アジア版NATOを考えるとすれば、韓国は日本の「友」としてふさわしいと言えるだろうか。そろそろ日本人も従来の考えを改めるべきではなかろうか。