【団塊ひとり】STAP細胞に対する「信念」があれば小保方さんは孤軍奮闘・徹底抗戦すべきだ。

 「存在」とは何か、と言うことを時々考えることがある。いい年をして実に「青い」ことだが、最近ますます分からなくなってきた。例えば1916年にすでに予想されていたとはいえ、1930年にクライド・トンボーによって発見されるまで「冥王星」は地球人にはその「存在」は知られていなかった。古代人は我々の銀河系と同じような銀河やブラックホールが多数「存在」していること等、想像も出来なかったはずだ。このように、「存在している」にも関わらず「存在していない」と認識されることは珍しくはない。逆に「存在していない」のに「存在している」と誤解・ねつ造されることだってあるはずだ。

 STAP細胞はどちらなのか。「存在している」のか「存在していない」のか。今は「在ったらいいな」という希望と、「あるはずないさ」という冷笑が、どちらも何の確証もなく「存在」している。

 小保方さんは本当にペテン師なのか。理研は責任を小保方さんひとりに転嫁することで、問題を片付けようとしているように見える。マスコミも今までの賛辞を捨てて、バッシングに熱心だ。が、賛辞もバッシングもマスコミ人は論文内容をよく理解して執筆しているわけではない。尻馬に乗っているだけだ。私は、女性ひとりに全責任を押しつけようとしているように見える理研のやり方に何か不公正なものを感じている。

 当の小保方さんは徹底抗戦の構えだ。私は当然と思う。「ねつ造」であれば正直に謝るべきだし、本当に「信念」があれば、何度もチャレンジして自分の仮定の正しさを立証すべきだからだ。理研はよく確かめもせず実験の成果を発表し、今は充分な検討もせず、あっさり否定する。専門家が集まった集団とは、とても思えない。

 これも素人には本当か判断できないが、香港中文大学の李教授がSTAP細胞作製の再現に成功との報道。失礼ながら「香港」というといかにもいかがわしく感じるが、論文共同執筆者であるハーヴァード大学医学大学院のチャールズ・ヴァカンティ教授もSTAP細胞の存在を支持している。

 小保方論文の性急な発表と、否定の間には外部の者には分からない深い謎があるように思われる。小保方さんが克明なノートを提出しなかったことも、未熟さやねつ造の為かも知れないが、もしかしたら「成果」を横取りされることを恐れていたからかも知れない。

 ヒトiPS細胞の場合でも山中教授グループの実験を契機にB薬品が開発に着手し、特許出願を争った「事実」があるという。例え後発でもアイディアと手法を「入手」出来れば、資金力のある会社がそうでない研究者よりも成果を先行させる事は可能だ。その結果、さきにアイディアを持っていた研究者を飛び越えて特許を獲得する可能性も存在する。特に優れた研究は部外者がどのような手段を使っても、自分のものにしたいという誘惑に駆られるものだ。逆に研究者は漏洩を恐れるために、実験段階では第三者には分からない形でまとめておくことだってあるはずだ。ファイル保存時に暗号を使用するのと同じだ。特許権は莫大な金を生む。それが問題を困難にしている。
 
 特許戦争に勝利するために論文発表を何よりも優先する事は充分に考えられる。iPS細胞もすでに多くの外国企業が部分特許を獲得しているが、それらのあるものは京大に無償譲渡され、代わりに京大は特許使用を許諾して、互いの特許紛争を避ける処置を執っているようだ。

 日本人は批判されると先ず自分の意見を撤回する。身をかがめて「嵐」が通り過ぎるのを待とうとする。が、これが世界に通用しないことは「河野談話」で明らかだ。素人の私には事の真偽が分からないからこそ、小保方さんには粘って真実を明らかにして欲しいと思う。

 いまこの文章を書いていると、香港中文大学の李教授がSTAP細胞作製の再現に成功との報道を否定したというニュースが飛び込んだ。ヴァカンティ教授のコメントを否定するものだ。「肯定」はあるいはマスコミの意図的な「誤報」であったかも知れないし、「否定」そのものも疑えば疑える。こうなれば香港中文大学の李教授がSTAP細胞を作製しようとしていたという事実すらも疑わしい。もう何が何だか分からなくなっている。

 「冤罪」問題をみても、「自分自身のアリバイを証明する」ことは非常に困難だ。自分がそこにいたと言うこと、あるいは絶対にいなかったと言うことの証明をどのようにすればいいのか。多くの「冤罪」が生まれる理由だ。STAP細胞の「実存」も混沌としている今、肯定も否定も科学的な「立証」に待つしかないと思う。ともに時間のかかることだ。結論をあせるべきではない。