【団塊ひとり】 〔1989 05 35〕 ・・・・天安門

 数字に対して抱く感情は万国共通ではないらしい。例えば4という数字。西洋人は気にもしない数字だが、日本では病室や駐車場では避けられる傾向にあるようだ。「死」を連想するからだろう。これくらいなら笑い話ですんでしまう。が、世の中には笑えない数字がいくつもある。

 「18」。野球が好きな人間なら日本ではこれはエースピッチャーの背番号だ。ところがドイツではヒトラーの隠語になるそうだ。アルファベットでAは1番目、Hは8番目に位置するので18はA・H、即ちアドルフ・ヒトラーを暗示するとか。同じように88はH・Hになりハイル・ヒトラーの隠語。知らずにこの数字を付けたTシャツを着ていたら、ネオナチと間違えられるかも知れない。背番号「88」を背負っている巨人の原監督は、身に覚えのない批判を受けないように注意が必要か。

実際に米家庭用品大手プロクター・アンド・ギャンブル社が、通常より5回多い88回分の洗濯ができる増量サービスの宣伝で「88」を全面に出して販売したところ、消費者の指摘で販売中止になったとか。「731」という数字に過敏な中韓を連想させる事件だ。ちなみに18はユダヤ教では18の祝祷(シュモネ・エスレ)とあるようにヒトラーを暗示しない。こうなると複雑すぎて日本人はついて行けない。

 アメリカで絶賛されたトヨタ・GT86も「86」はスラング的には、消すとか殺すとか物騒な意味があるらしい。が、この場合はそれがむしろクールな感じを与えているのかも知れない。ちなみに中華人民共和国に国際電話をかける時の国番号は「86」。こうなると、もはや単なる偶然とは思えない。

 私自身は使用経験はないが、ポケットベルなるものが流行した時期がある。ポケベルは数字を上手く利用して簡単な会話を成立させるツールだ。数字の羅列は関係者以外には一種の暗号のようなものだ。例えば、すぐに会いたい時に相手に「1251」と数字を送る。これは「会いに来い」と読むらしい。受信側は、すぐに行く場合は「1919」(行く行く)、断るときは「184」(いやよ)と返信。もう連絡して欲しくないときは「10618」(テルイヤ)と返すそうだ。ちなみにポケベル言語では、先ほどの「88」はハイルヒトラーではなくて「母」を示す。

 感心したのは数字の羅列で四字熟語まで表現したことだ。「6665666」「〔50 100〕」には感心させられた。ちなみに前者は「6」の間に「5」が挟まっているので「五里霧中」、後者は50と100が同じように〔 〕でひとくくりされているので「五十歩百歩」と読むそうな。

 中学生の時私が通学する学校で、簡単な暗号を使用して交信する遊びがはやったことがある。

 例えば〔135 18 09〕〔242 08 15〕・・・・というように数字を並べて互いに連絡を取り合うのだ。これも互いに共通の約束さえしておけば、実に簡単な暗号だ。それぞれの数字は〔ページ 行 上から数えた位置〕を表す。つまり数字は一種の座標軸の役割を果たしていて、一つの組み合わせがある一つの文字を示している。例えば〔135 18 09〕なら、まず135ページを開き、右から18行目をさがす。そしてその行の上から9番目の文字が、指定された文字になる。この約束に基づけば教科書でも暗号解読器になる。ゲーム機のなかった時代はいろいろな遊びを考えて楽しかった。

 ところで中国のブログでは時々「5月35日」という日付が見られるそうだ。「5月35日」は、すなわち「6月4日」であり、天安門事件の隠語になっているそうだ。日本では「天安門」と書いても「靖国参拝反対」と書いても、それだけで逮捕されることはない。が、中国では身に危険が及ぶそうだ。そこで「5月35日」という日付が天安門事件の隠語になっている。

 今回も天安門事件の映像を流したNHKTVが数分間中断した。が、その数分間の中断は逆に国家が隠蔽作業を実施していることを暴露する結果になっている。映像を中断されたNHKは、むしろ誇りと思うべきだ。

 天安門では本来、自国民を守るべき人民解放軍が、事もあろうに非武装の「人民」に水平射撃を実施し、警棒で殴り戦車で轢き殺し、その死体をブルドーザーを使って地中に埋めた。当局は数百人の死者が出たと公式声明を出したが、実際は数万人に登るという説すらある。闇に葬られているから正確な数がいまだに特定できないのだ。中国版新幹線事故で事故車両ごと遺体を埋めた事実が思い出される。

 ちなみにケストナーの作品「5月35日」は「何が起きてもおかしくない日」の代名詞。自国民を守るべき人民解放軍が人民を弾圧し虐殺する。人民にとってこれほど意外で不幸なことはない。それが常態になっている国は異常だ。中国には再度の「革命」が必要であるかも知れない。

 さて、今回の表題の〔1989 05 35〕という数字は、もちろん1989年5月35日の出来事、即ち1989年6月4日に起こった天安門事件の事だ。

 色々と中韓に非難される日本だが、彼等と全くちがうことがある。それは敗戦後は、中国や南北朝鮮のように他国民だけではなく、自国民を組織的に大量に虐殺しなかったことだ。我が国が外国(非戦闘員)に対して一発も銃弾を撃たなかったことと併せて、これは世界に誇るべき事ではないだろうか。