【団塊ひとり】 「浅田真央」選手 と「ザックジャパン」

 ザックジャパンが「不調」である。Wカップではいままでの「進撃」が嘘のように沈んでいる。まだ、「可能性」は残っているものの、すでに選手を責めるだけではなく、監督の采配を問題視する論調が現れている。もはや戦犯捜しが始まっているのだ。もし「ザックジャパン」がこのまま「期待」を裏切る「惨めな敗北」を喫すれば、「戦犯捜し」のバッシングがわき起こるだろう。

 が、冷静に考えれば昨年優勝のスペインやサッカー発祥の国イングランドも予選リーグを突破できないのがWカップだ。あと1試合残している日本が予選を突破出来なくても、それはFIFAランキングを考えれば、妥当な結果と理解することも可能だ。でも世論はそうはならないだろう。

 一つは実力以上に「ザックジャパン」を持ち上げたマスコミにも責任がある。さすがに「優勝」とまでは行かなくても、やれ「ベスト8、いやベスト4も狙える」とあおり立てたのはマスコミだ。たぶん発行部数や視聴率を計算した作戦なのだろう。それは興行的には悪いことではないかも知れないが、「真実」を見ない過剰な報道である可能性が高い。

 確かに今までの試合を振り返ると今回の「ザックジャパン」はまるで別人のように精彩がない。初戦は自慢のパスワークがほとんど機能しなかった。肝心の所でパスカットされる場面が多く見られた。最初に1得点を入れたことで守りに入ったという反省もあるようだが、予想以上に「ザックジャパン」の戦術が研究されていたようだ。それはコートジボワールの代表監督のサブリ・ラムシ氏(Sabri Lamouchi)がかつてインテル・ミラノザッケローニ監督の元でプレーしていたことと無関係ではなかろう。

 もし相手に戦術を読まれていたとすれば、それに対応することが必要だ。日本が、今までのやり方が出来なかったと反省するのも重要だが、相手に手の内を読まれて今までのやり方を封印されたと気付く事も重要ではなかろうか。が、それが実行されたとはとても言えない。選手の「敗戦の弁」を聞いていると、精神論・根性論が多いことが気になる。これでは同じ事が繰り返される。

 初戦と較べるとギリシャ戦では圧倒的に日本がボールを「支配」していた。が、それも錯覚で実際はボールを上手く「キープ」させられていた。ザックジャパンはボールの「支配率」こそ高かったが、それが自己目的化しているようで、戦術的には無意味だった。あまりにも変化やスピードのないパス回しだったので、ギリシャは安心して見ていることが出来た。これでは選手は疲れないので、ギリシャの堅守を崩せない。日本に欠けていたのは、膠着した状況を打ち破る想定外のアイディアだろう。それが全く欠如していて、空中戦というもっとも日本に不利な戦いを仕掛けては失敗した。単なる精神論では解決できない問題だ。単純な戦法は見ているものを不愉快にさせる。

 さきほどイランとアルゼンチンの試合を見終えたばかりだが、実に面白かった。延長時間のわずか数分でメッシに得点されイランは敗退したが、格上の相手に動じず、果敢に「挑戦」するイランの健闘には感動させられた。今の「ザックジャパン」に感じられないものがあった。

 「なでしこジャパン」は男子より先にWカップで優勝している。男子のサッカーと女子のサッカーを同列に論じることが果たして正しいか否か私には分からない。が、「快挙」であることは間違いない。

 稚拙なことを述べるようだが、女子の「なでしこジャパン」と較べてなぜ男子は監督が代わるたびに「トルシエジャパン」「岡田ジャパン」「ジーコジャパン」と名称が変化するのだろう。「サムライジャパン」という呼称が野球に先取りされたことはあるかも知れないが、今のままでは、まるでカメレオン軍団で自分たちの強い意志、独自性、個性というものが感じられない。それがなんとも歯がゆい。
何よりも「日本」のチームとしての連続した一体感を感じにくい。

 浅田真央選手のような実力者もオリンピックの魔物に飲み込まれて、自分の実力を発揮できないことがある。フリーでは立ち直ったがメダルを獲得することは出来なかった。が、彼女を悪くいうものはいない。むしろ浅田選手の生き方に共感するコメントが多く寄せられた。「敗者」が常にバッシングの対象になるわけではないのだ。しかし、「敗者」としての「ザックジャパン」はそうはならないだろう。なぜ?と問いかけてみることも「ザックジャパン」には必要であろう。

いずれにしろ残り1試合に「奇跡」を期待するしかないだろう。最後まであきらめるな「ザックジャパン