「国」を僭称するISILの蛮行と報道のあり方

 昨年の7月以来、久しぶりにブログを書く。別に病気であったわけではなく、断筆宣言したわけでもなく、ただ書く気にならなかっただけだ。毎日何らかのコメントを書かねばならないプロではなく、オピニオンリーダーとして期待されているわけではないという、気軽な気持ちもあって筆を執らないことに何の感慨もなかった。そして予想通り世の中は私に関係なく、どんどん変化していった。

 ブログを休んでいた間、朝日新聞が「慰安婦報道」の「誤報」を認めた。が、あれは誤報というような生やさしいものではない。社民党や韓国政府とタイアップした「政治工作」のようなものだと思った。様々な報道がなされたが、朝日新聞はまともに謝らず、他社の論戦も思っていたほどには深まらなかった。朝日新聞だけではなく多くのマスコミも共犯関係にあったからだ。また与党自民党も、深く追求してゆけば、自分自身無傷ではすまされないからだ。


 最近は「イスラム国」というテロ集団の話題が賑やかだ。最初の一人が「人質」になったとき、銃を持って戦闘服スタイルの「男」が「はるな」と呼ばれていることに、ものすごい違和感を感じていた。そして、このような姿でゲリラ地域に入って人質になることは、違法なバックカントリースキーの遭難のようなものだとも思った。もし無事に帰ってきても、きっと報道陣による激しいバッシングに合うだろうな、という程度に考えていた。いわゆる「自己責任」で片付けられるだろうという程度に考えていた。全く落ち度のない横田めぐみさんの拉致のケースとは明らかに異なっているからだ。

 続いて後藤というジャーナリストが人質になった。この人は著作も多く、池上彰氏などが救出を願うほどの「大物」だった。「はるな」さんが人質になったときは、無視に近かったマスコミが、にわかに情熱を持って報道し始めた。多くは後藤さんの功績を称え、解放を求めるものであった。
 

 やがて「突然」日本人の人質二人と処刑人の写真とメッセージがユーチューブに流れ、瞬く間に日本中の話題を独占した。その時点でも私は二人が殺害されるとは思ってはいなかった。が、結果はそうではなかった。まず「はるな」さんが殺害された。そして日本政府に対する脅迫の度合いが強まっていった。やがて要求は身代金から死刑囚解放へと変化した。日本政府はヨルダンなどと連絡を取り解放に努力したが、結局最後の人質も殺害されてしまった。


 国を僭称するテロリスト集団と、それに対する報道のあり方などについて、次回からしばらく考えていきたいと思う。