【団塊ひとり】ヨルダン軍パイロットのムアズ・カサースベ氏(26)の殺害

 今朝のニュースは「ヨルダン人パイロット」の殺害で始まった。ヨルダンのパイロットは、すでに殺害されているのではないかと「予想」されていたが、それが証明されてしまった。しかも生きながら焼き殺されるというむごたらしい方法で。イスラムの通念では「火葬」は魂の復活を阻止するだけではなく、死者に地獄の苦しみを与える残酷な仕打ちであり、死者および家族に対する最大の侮辱行為でもある。ISILは幾層もの形で、死者をむち打った。

 生きながら人間を焼き殺すことは残忍な「処刑」方法だ。だが、テロリスト集団の残虐性を西欧社会が強調することには違和感がある。なぜなら生きながら人間を焼く「火刑」は、ジャンヌ・ダルクの例を見るまでもなく、西欧キリスト教社会のお家芸だったからだ。

 今回の長時間の演出ビデオは、まずヨルダン軍による空爆とその結果の惨状を描いている。今回の「火刑」は、空爆で焼き殺された被害者の意思をくんだ正当な復讐なのだ、という姿勢を強く打ち出している。が、その結果、激しい報復感情に裏付けられた空爆は激しさをまして行くだろう。「目には目を」の報復はさらに激しい報復を生み、戦闘はますます激しくなるだろう。結局は、武力による解決しか方法がなくなった。ちょうどナチスユダヤ人殺害を終わらせるために、ドイツを徹底的に破壊せねばならなかったように。そして連合軍がその大量殺戮を「正当化」出来たのも、ナチスの非人道的な蛮行だった。これから、どれほど多くの無辜の民が巻き添えで死んでゆくかと思うと憂鬱になる。

 ヨルダン政府は予告通り死刑囚の処刑を実施した。それを口実にISILのようなテロ集団は、さらにテロ活動を激化させるだろう。

 テロ集団は自らの行為を「聖戦」と信じ、殉教すれば天国にゆけると信じている。だとすればテロリストの死体をすべて火葬にしたらどうだろう。死ねば「天国」に行けると信じているテロリストも、火葬によってそれが実現出来ないとすればそれは一つの抑制効果を生むのではないか。

 「火葬」の理由はいくらでも見つかる。死体の腐敗による伝染病の蔓延を防ぐため、というのももっともらしい理由になるだろう。生きている人間を焼き殺すのではない。単に葬礼の方法を変えるだけだ。仏教徒である日本などの社会では、死者を「火葬」にすることに対するアレルギーはない。

 自分の死体が、火葬によって処理され、その結果自己の死が「聖なる殉教」にならないとすれば、テロリストにわずかな逡巡が生まれる可能性がある。

 死者を火葬にすることに普通のイスラム社会が嫌悪感を抱かないために、ヨルダン政府は、ISIL に属するテロリストはイスラム教から逸脱した「背教者」と主張する必要があろう。背教者や異教徒であれば、イスラム教の教義に則った扱いは必要ではなくなる。

 仲間の「火葬」を避けるためには、テロ集団は死体を取り返さねば集団の規律を維持することが困難になる。よくない例えだが、その時点で「テロリストの死体」は、テロ集団をおびき寄せる「撒き餌」になる。後は待ち構えておればいいだけだ。

 もし仲間の遺体を取り返す行動をしなければ、テロ集団に亀裂が生じる。「死体」を利用するというおぞましい方法は好ましくはないが、ヨルダンやアメリカはテロとの戦いではあらゆる手段を考え
ているのではなかろうか。

 ISILが、報復感情に押し切られてヨルダンのパイロットを焼き殺したことは、数倍の報復の嵐を受けることになろう。いままで、多少なりとも同情を示していた人々の気持ちさえ離れてしまうだろう。ISILは、自分たちが戦っている相手が、強い報復感情に基づいて、平気で日本に原爆を落としたアメリカであることを忘れているのではないか。

 テロリストとの間に挟まれて逃げることも出来ず、報復の空爆で死んでゆかねばならない「庶民」を想像すると、なんともやりきれない。(続く)