【団塊ひとり】 後藤氏の遺志を受け継ぐために

 よく「あんないい人がどうして」殺されるのか、と殺人者の動機を何かに求めようとする人がいるが、ただ「人を殺してみたかった」という理由だけで殺人を犯す人間もいる。彼らの行動を、理屈をいろいろとつけて説明することは何の意味も持たない。また、ある社会で常識となっていることが、すべてに通用するわけではない。自分たちだけで通用する理屈や倫理的な基準は、他では役に立たないことも多い。「女子にも教育を」という当たり前のことを訴えたマララさんは、ただそれだけで殺害の対象にされた。

 もしISILのようなテロ集団が、自分たちの力だけで数億の人間に自分たちの主張を伝えようとすれば、莫大な費用と努力がいる。が、彼らの提供するビデオをNHKなどの公共機関が、無批判に繰り返し垂れ流せば、いとも簡単に彼らの目的は達成される。

 「事実」を伝えることはマスコミの使命である。が、マスコミが伝えることが「真実」である保証はない。テロ集団は日本のマスコミが戦前、大本営発表を無批判に垂れ流した事実を知っている。簡単に思考停止になる体質が今も残存していることを見抜いている。日本のマスコミのそのような性質を見事に利用して、自分たちの宣伝に成功しているのが「イスラム国」というテロ集団だ。残念なことに、日本のTVは何度も繰り返し、「イスラム国」(ISIL)の作成したビデオを垂れ流している。残念ながら、日本のマスコミ大手は自分たちが独自に取材した情報を持ってはいない。後藤さんのようなフリージャーナリストの活躍による部分が多い。が、それは同時に記者自身の危険を伴う。従ってある国ではISILを取材したフリージャーナリストから「作品」を購入することを拒否することによって、危険を回避しようとする。そのことでフリージャーナリストが、大手ジャーナリズムの捨て駒になることを防ぐのだ。

 手元に独自取材した情報がない大手マスコミは、結果としてISILの宣伝を放映するしか番組を作る材料がない。しかし、一方的な「宣伝」のみを無批判に垂れ流すならば、それは「報道」ではなく、テロリストのプロバガンダの拡散に手を貸していることになる。その反省が日本のマスコミにあるだろうか。こうしてISILの大本営発表は止めどもなく拡散してゆく。ISILは、日本のマスコミの性格をうまく利用して自分たちの主張を拡散することに成功している。

 大手マスコミだけではない。K・Lという「日本」の女性精神病医は、日本はイスラム国と仲良くやるべきだという。無実の人間を殺し、女性を奴隷にし、自爆テロの手段にする集団とどうして日本は仲良くせねばならないのか。K・Lには精神鑑定が必要だろう。

 確かに安倍首相は「イスラム国」を挑発するような発言をし、彼らをいらだたせた。。だからといって後藤氏の殺害が安倍首相の発言にあるという、一部政治家・マスコミ・コメンテーター・活動家の発言はテロ集団を利するもの以外のなにものでもない。安倍首相の「発言」の当否を問うことは政治の問題であり、いまの状況下では問題にすべきことではない。

 弱いもの、虐げられたものに対する後藤氏のまなざしを否定するものは、西欧社会では少ないだろう。が、「女性に教育を」と主張する後藤さんの訴えは、マララさん狙撃に見られるようにテロリストの怒りを買うものだった。幼女との性交渉を幼児ポルノとして禁じる西欧社会の主張は、イスラム圏では9歳の幼女と性交渉を持ったムハンマドに対する冒涜・侮蔑ととられかねない。同様に、日本政府の人道支援キリスト教徒である後藤さんの難民に寄り添う姿勢はテロリストにとっては「敵」への援助、「敵対行為」とうつることも真実だ。基礎となる文化があまりにも異なるのだ。

 殺害された後藤さんは、今後どのように「利用」されてゆくのか。集団的自衛権憲法改正原発反対の勢力は政府批判に利用するだろう。が、それはテロリストの思うつぼだ。逆に政府は独自の諜報機関の設立、国際水準に準じた自衛隊の行動拡大を主張してゆくだろう。戦争状態にある危険な環境から自国民を救済するためには、訓練を積んだ自衛隊の派遣が最も有効である。発射されたミサイルに対処する技術や装備を持たない民間機は、簡単に餌食となり自国民の救済は不可能になる。が、自国民救出のために自衛隊を送り込んでも、テロ集団はそれを日本軍の参戦と理解する危険性がある。そして反日的な一部マスコミや政治家は、日本が憲法9条を破って「派兵した」と声高に叫び、テロ集団にエールを送るだろう。

 いずれをとっても後藤さんは様々な団体から利用されてゆくだろう。格差を批判するマスコミが同じ人質だった湯川氏についてほとんど触れないのは、たぶん利用価値がないからだろう。正義の味方・平等を標榜するマスコミの本質が垣間見えて興味深い。

 いろいろな批判があっても安倍首相の決断は世界の民主国家の大きな支持を受けた。また後藤氏の行動は多くのイスラム諸国の人々の共感を受けた。戦後の八方美人的な態度ではつかみきれない「信頼」を手に入れることが出来た。

 今朝のTV朝日の「そもそも総研」は「安全保証の要諦は敵を作らないこと」と結論を出した。が、「敵」を作らないことは「味方」も出来ないことだ。第一、全く「敵」がいない国など、地球上のどこにも存在しない。

 ISILを「敵」に回さないように行動することは、結局彼らの残虐行為を「黙認」することである。これがどれほど不正義であるかTV朝日は理解できないようだ。教室の「いじめ」は多数の「傍観者」によって補強されてゆく。教室の構成員は、自分が相手に「敵」と意識され、新しい「いじめ」の対象にならないように、見て見ぬふりをする。TV朝日が主張することは「いじめ」をみても「見て見ぬふりをしろ」、相手が自分を「いじめ」の対象にしないように気をつけて発言しろ、と述べていることに等しい。私はとうてい納得することが出来ない。

 日本は標的になることを恐れるあまり、テロリストの行動を黙認したり、まして同調したりしてはならない。民主主義になじめない勢力からは、これからも強い批判を受けるだろうが、それを恐れてはならない。

 今後、日本のマスコミ報道はどうあるべきか。それはISIL の宣伝映像を垂れ流すのではなく、まして彼らの行動を「黙認」するのではなく、「自己責任」をきちんと述べている後藤氏本人のメッセージを受け、その上で後藤氏のなした業績を報道することだ。これこそ本来流すべき情報であり、後藤氏の遺志を受け継ぐことになるのではないだろうか。