【団塊ひとり】ISILとの戦い・・・・21世紀も「戦争の世紀」になるのだろうか?

 テロに対抗する方法として、無力な我々にも出来ることがある。それは少なくとも、テロ集団を「イスラム国」と呼ぶことをやめることだ。言葉は本来の意義から離れて一人歩きすることがある。それを避けるためには、まず呼称を変えることだ。

 そして、マスコミはISILの「大本営発表」を無批判にたれ流すことはやめよう。ISILは、与えられた情報を批判せずに垂れ流す、日本のマスコミの性格をうまく利用して、自分たちの主張を拡散することに成功している。日本人の人質を取れば、日本のマスコミは自分たちの宣伝を世界的にしてくれると悟ったISILは、再び人質を狙う可能性がある。日本人がこれ以上人質になることを避けるためにも、ISILの意向に沿うような報道を慎むべきだ。

 ISILの戦術は実に狡猾だ。後藤氏がヨルダンのパイロットの写真を掲げたとき、すでにパイロットは殺害されていた。いまから思えば、日本人の人質が二人同時の合成映像が流されたときには、湯川さんは殺されていたのだろう。とすれば、後藤氏のメッセージが流されたときも、すでに後藤氏が殺害されていた可能性もある。ISILは対象国がパニックに陥ることを見てほくそ笑んでいるだろう。

 ISILが日本人の人質の写真を公開する以前に、彼らが人質家族とメールの交換をしていたことが明らかになった。それは政府も了解のことだったらしい。安倍首相が、テロリストに妥協しないという強気の発言に終始した背景には、公開できない情報をすでにつかんで、結果がわかっていたからかもしれない。

注意すべきなのは、すでに殺害していながら、あたかも生きているかのように装い自分たちに有利に運ぶように策略を用いるISILの方法である。公式見解とはちがって、いまのISILには交渉をする気持ちも余裕もないようだ。今回の件で、オレンジの服を着せられた映像が公開された時点で、すでに殺害されているか、殺害される可能性が限りなく高いということがわかった。彼らは人質解放ではなく、自分たちの宣伝が世界に広まり、恐怖が拡散することを狙っているようだ。策略に踊らされてはならない。

 ただ、ヨルダンのパイロットを火刑に処したことは、ISILの大きな失敗になる可能性がある。彼らの行為は、十字軍の将軍さえ畏敬せざるを得なかった、イスラムの英雄サラディンの寛容な行為とはあまりにも隔たったものだ。同じムスリムに対するISILの蛮行は、かつて十字軍がイスラムに対して行った歴史的蛮行を思い出させ、多くのイスラム教徒の嫌悪と反感を招くだろう。ISILはやがて孤立してゆき、最後には壊滅してしまうだろう。

 有志連合はISILを壊滅させるために、徹底した軍事作戦を強行するだろう。ISILが相手にする国の一つアメリカは、報復のために原爆を日本に投下した国だ。その国を相手の戦争だ。テロリストに支配されている地域で、また多くの無辜の人命が失われてゆくと考えたら憂鬱になる。が、テロリストに妥協は禁物だ。話し合いや妥協で解決できると思う甘い考えは禁物だ。

 暗い話題の中で唯一救われることがある。それは現在の政権が鳩山由紀夫菅直人が率いる民主党政権でなかったことだ。もしルーピーハトヤマが首相だったら、日本はどうなっていただろうか。もしかしたら大量の税金をつぎ込んで、人質は解放されたかもしれない。が、日本国の信用は地に落ち、テロリストは日本の金でさらなるテロを実行するだろう。

 フランスやトルコの人質は身代金を払い解放されたではないか、しかし彼らは非難されていないではないかという意見がある。しかしフランスやトルコの場合は、テロリストは表だって身代金要求をしていないし、フランスもトルコも身代金支払いを否定している。

 今回はテロリストがネットを使用して、公然と身代金を要求した。もし人質が解放されたなら、世界は身代金をテロリストに渡したと日本を非難するだろう。身代金を公然と要求する時点で、テロリストにはまじめに交渉する姿勢を放棄していたはずだ。身代金を公然と要求したことは、ちょうど競争相手の栄転を邪魔するために、あえて偽の情報を流すようなものだ。彼らの目的は身代金獲得にはない。

 安倍首相は、ナチスに対してイギリスのアーサー・ネヴィル・チェンバレン( Arthur Neville Chamberlain)が宥和政策を実行したような過ちをしないことだ。そしてISILとの戦いは新しい戦争だと国民すべてが意識することだ。日本だけではなく、世界はテロリストとの21世紀型の新しい戦争に組み込まれている。ナチスとの戦いに勝つためにはヒトラーの殺害と、ドイツ国土の崩壊が必要だったように、この戦いも憂鬱で苦しいものになろう。そして、テロリストと有志連合との戦闘で多くの民衆が殺されてゆく。戦争の世紀は21世紀も続くようだ。実に悲しい。